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The First Mission to America
(アメリカへの最初の使節団)
P.98
明治時代のもっとも有名で影響力を与えた思想家は疑いもなく福沢諭吉でした。彼の初期の著作は1870 年代の文
明開化運動のバックボーンでした。以下の随筆の中で、彼は1860 年に最初にアメリカを訪問した様子を描写していま
す。
L.6
私が江戸に移り住んだ翌年、安政6 年(1859 年)に、幕府は合衆国に船を送ることを決めました。この船に乗って、
私はアメリカを訪問する幸運を得ることになりました。私達の船、咸臨丸が品川の岸から江戸を発ったのは、万延元年
の1 月のことでした。
L.12
嵐に次ぐ嵐でした。波が絶えず、船にかぶさってきました。船が傾く時は、下から見上げると、大きな波のテッペンが
いつも見えたのを憶えています。もし船が45 度以上傾けば、沈没してしまうと聞かされていました。それでも船は、航路
を保って、幸運にも、大きな事故もありませんでした。
L.18
私は健康でしたし、船酔いは全くしませんでした。友人たちとずっと冗談を言っていました。たとえば、「牢獄に入れら
れて、昼も夜も地震が起こっていると考えて見たまえ。こんなことはそれと比べれば、何でもないよ。」という具合でした。
P.99
私たちは37 日後に、サンフランシスコに着きました。陸にあがると、友好的な人々にとても歓迎されました。彼等は何
でもしてくれました。彼らの気持ちとしては、昔の生徒を迎える教師の気持ちのようなものだったに違いありません。とい
うのは、7 年前に、わが国を開国させたのがペリー提督だったし、それで、最初にアメリカを訪問している私たちが今こ
こにいるからでした。
L.8
陸に上がるとすぐに、私たちは馬車に乗せられてホテルに行きました。ホテルで休憩している間、詞の役人たちやさ
まざまの重要な人々が会いに来ました。ホスト(役人)たちは日本人の食事は異なっているのを知っていたので、私達
の料理人に調理させるように手配しました。しかし、役人たちはとても親切で、日本人が海産食品が好きなのをしってい
たので、毎日、魚を送ってくれました。それにまた、頻繁に入浴をする日本の習慣に気がつくとすぐに、毎日風呂を用
意してくれました。
2
L.17
私たちにとっては、どぎまぎする時が多くありました。というのは、アメリカの習慣を理解していなかったからでした。例
えば、馬車にすら、びっくりさせられたのでした。馬が繋がれている乗り物を見ればすぐに、それが何か見当がつくはず
でした。しかし、実際、馬が走り出すまで、それが何かが分からなかったのでした。
私たちはみんな、腰に二本差し(の刀)で、ぞうりを履いていました。
P.100
そういる服装で、現代風のホテルに連れて行かれました。そのホテルで、日本では財布や煙草(タバコ)入れを作るた
めの小さな布切れの形で、輸入業者の店で、金持ちだけが買うことの出来るような貴重なカーペットに気がつきました。
ここでは、カーペットは部屋全体に敷き詰められていましたが、その織物の上を、私達のホスト(役人)たちは通りを歩い
てきた靴を履いたままで歩くのでした。私たちはぞうりを履いたまま、彼等について行きました。
L.9
すると、すぐさま、ビンが運ばれてきました。突然、爆発しました、シャンペンをポンと開けた音でした。グラスがあちこ
ちに運ばれていきました。私たちはグラスに何か浮いているのに気づきましたが、まさか暖かい春の日に氷に出会うな
どとは思いもつきませんでした。あるものは浮いている氷片を飲み込みました。吐き出す者もいました。勇敢にも噛む者
もいました。それが氷だと分かるだけでも、1 つの冒険だったのです。
L.17
ある日の夕べに、ホストの1 人が言うことには、紳士や淑女たちがダンスをするので、私たちにも参加してもらえれば
ありがたいと言うことでした。だから、行きました、が、彼らが何をしているのか理解できませんでした。紳士や淑女たち
が一緒に部屋中をあちこち跳ね回った入りしているように見えました。本当におかしかったのですが、笑うのは無作法
だと分かっていましたので、ダンスが続いている間、苦労してこらえていました。
3
P.101
これらのことは、私たちがアメリカ社会の奇妙な習慣にびっくりさせられたほんのわずかの例にすぎないものです。
L.5
サンフランシスコでのホストたちはとても親切で、現代工業の見本を見せてくれました。私たちを砂糖工場に連れて行
って、その作業を説明してくれました。ホストたちはきっと、全く新しいものを私たちに見せて、現代技術の新しい設備
の一つ一つに、私たちが驚くのを期待していたのです。しかし、実際には、新しいものは何もありませんでした。少なく
とも、私にとってはのことですが。私には砂糖をどう作るかなどについては全て分かっていたのです。私は、適塾(緒方
塾)に入って以来ずっと科学だけしか勉強しなかったのですから。
L.14
どちらかと言えば、アメリカ生活の全く異なった物事に驚かされました。まず第一に、いたるところに膨大な鉄のクズが
ありました。ゴミの山や、岸など、いたるところで、古い油カンや、空き缶、壊れた機械などを目にしました。これにはびっ
くりしました。なぜなら、江戸では、火事の後には、たくさんの人が鉄のクズを見つけに集まってくるのですから。
P.102
社会的、政治的、経済的な事情は理解するのが最も難しいものでした。ある日、突然の思いつきで、ある紳士に、ジョ
ージ=ワシントンの子孫たちはどこにいるのだろうかと聞きました。彼の返事は、「ワシントンの子孫だと言う女性は1人
いると思います。しかし、彼女が今どこにいるのかは知りません、が、結婚しているとは聞きましたよ。」というものでした。
彼の、返事がそんなにも何気なかったので、私はびっくりしました。
L.8
もちろんアメリカでは4年毎に大統領が新しくなるのは知っていましたが、ワシントンの家族は他のどの家族にも増して
尊敬されているのだと感じざるを得なかったのでした。私の考えは、日本においての徳川将軍家の家康への敬意に基
づいていました。だから、ワシントン家についてのこの返事を受けた時の驚嘆を今も覚えているのです。
L.15
日本への帰途の南航路では、天候は良かった。5 月5 日の朝に浦賀に着きました。日本に来る船は全て先ず、浦賀
に寄らねばならない事が規則でしたので、最初の気候のためにそこで下船しました。給水がとても不足したのでうがい
をするだけの水しかもらえず、何日も入浴せずに済ませていました。ひたいを剃り上げて、心ゆくまで、風呂に入るのを
とても楽しみにしていました。
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